『カサラギの神の仕組みと旧仏教』No.2 | ||
平成26年3月 | ||
第一章 大原‐寂光院と建礼門院(けんれいもんいん)-(1) 594年の飛鳥時代に、京都‐大原の寂光院が開山されました。聖徳太子が父‐用明(ようめい)天皇の菩提を弔う為に建立したと言われています。神道派の物部氏(守屋)と仏教を最初に招来した蘇我氏(馬子(うまこ))との対立抗争が起きていた時代でした。 その戦いで神道派の物部氏を破り、仏教派の蘇我氏が勝利したことで、今まで展開していた日本の神々の世界<旧神界>は、異次元的には仏・如来の世界<旧仏界>に押さえ込まれたことを意味します。 この仏・如来(仏界)と神々(神界)との戦いだけでなく——日本に仏教が開かれる以前には、『今から約千五百年ほど前の第十一代垂仁天皇朝から始まった、地球人類第五回目の神の仕組み、大和朝廷がアマテラス体制を確立することになるこの神の仕組みを……』を《カサラギの仕組み》と言い、『ヒツジヒメ系のアマテラス軍団につぶされた仕組みの先導役の女性と、そのセットの男性を、カサラギヒメ、カサラギヒコと死後は神名で呼ぶからである。』と言う、旧‐神々の世界においても、特に縮図‐日本の地で<宇宙変革・浄化革命>をめぐる戦いが起きていました。 (『 』内・下表は佐田靖治御大師述) 《カサラギの仕組み》 第一世代(1回目) 大和建国(アマテラス体制による支配) カサラギヒメ 第十一代垂仁帝(すいにんてい)の側室 カサラギヒコ 垂仁帝の弟 第二世代(2回目) カサラギヒメ 第十六代仁徳帝(にんとくてい)の皇女 カサラギヒコ 仁徳帝の弟 第三世代(3回目) カサラギヒメ 第三十二代崇峻帝(すしゅんてい)の皇女(姉) カサラギヒコ 崇峻帝の皇子・蜂子皇子(弟) 第四世代(4回目)第五十九代宇多天皇(うだてんのう)朝 カサラギヒメ 菅原道真の姉 (類子(ともこ)゠小松帝皇后?) カサラギヒコ 菅原道真(天満大神) 第五世代(5回目) カサラギヒメ 第八十一代安徳帝(三歳の少女で即位し八歳で壇ノ浦に崩御) カサラギヒコ 第八十代高倉帝の皇子・守貞親王(もりさだ しんのう) (出家‐行助入道(ぎょうじょにゅうどう)) 第一世代から第四世代のカサラギの仕組みは、ことごとく旧体制の妖怪化した神々よって潰されてしまいました(各詳細は他の所で)。 この第五世代の最後のカサラギの仕組みは、建礼門院(徳子)国母によって、秘かに自身の子の<安徳帝(子女゠カサラギヒメ)>を男子の帝として、高いレベルまでそのミタマを育て上げて、仕組み成功へと導こうとしましたが、壇ノ浦での源平合戦最後の戦いで、平家滅亡とともに海の藻くずと化してしまいました。 最後の神の仕組みが潰れたことで、日本‐神界は幕末まで、旧仏界システムの支配下で、展開してゆくことに成ります。例えば、八幡神がホトケ化して八幡大菩薩と成ったり、日本の神々はすべてホトケの化身であるとする<本地垂迹説>のもとに、神社はすべて寺の管理のもとにおかれました。太宰府天満宮は、安楽寺天満宮であったり……。 特に鎌倉時代には、比叡山で修行し下山した各仏教宗派の祖師方を中心に、<浄土系>‐浄土宗・浄土真宗・一向宗、<禅宗>‐曹洞宗・臨済宗・黄檗宗、日蓮宗・等、武士や一般民衆を中心にした新興仏教が起こりました。仏教的には貴族仏教から民衆仏教に転じたことで、大乗仏教に継ぐ一大仏教変革と成りましたが、次元的には<霊界‐仏教>に転位‐堕落したことになります。 それは幕末まで、<縮図日本(地球の十大陸を集めたら日本に成る)>の日本列島に、機械システム化した<霊界>的な仕組みが展開してゆくことになります。 その間、仏教の霊界化を象徴するかのように、霊界‐宗教の代表的な存在である<キリスト教>が、スペイン人のフランシスコ・ザビエルによって1549年に、初めて日本に伝導されました。 |
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